新機能、というかAppleの提供する新サービス、iBooksも同時に発表されましたが、これは書籍のデータをオンラインのショップで購入してiPadで読むというサービス。昨夜のいくつかのニュース番組ではAmazonのKindle、ソニーのReaderと合わせて紹介されていました。
ソニーのReaderのことはあまり知りませんが、Kindleとの対比でおもしろいと思ったのは、Kindleは縦型のレイアウトで画面下部に物理的キーボードを備え、ページ送り等の操作も本体左右にある物理的なボタンを押して行うという、極めてオーソドックスな機器然としており、ディスプレイに電子ペーパーを採用している点で技術的な目新しさはあるものの、表示されるページは極めて極めてオーソドックス。その白黒画面を眺めていると誰かに耳元で「漢字Talk7」「ハイパーカード」と囁かれたような錯覚にとらわれました。
対してアップルの方はiPhoneで確立した赤ん坊でも使える直感的なインターフェース
さて、iBooksのニュースを聞いて1995年に開かれたある展覧会と、その解説書として同時に刊行された本を思い出しました。1995年と言えば今から15年前。そんなに昔ではないような気もしますが、携帯電話はまだテレビのリモコンのような大きさでいけすかないビジネスエリートの自慢グッズ、カシオが発売した革新的な「デジタルカメラ」QV-10の画素数は25万画素、Macの最上位機種のクロックスピードは110MHzぐらいという時代です。mixiはおろか、2ちゃんねるすら影も形もありません。まさにインターネットの爆発的な普及の前夜、電子メディアがようやく一般人の目に見えるところまでやって来ようかという時代でした。
タイトルは展覧会も書籍もともに [未来の本の未来] (The Future of the Book of the Future)
電子メディアがまさに現実的なものとなっていくダイナミックな時代背景の中で、展覧会は「本」というものを意味のレベルまで解体し、様々な視点から再構築をはかるという研究であり、実験であり、問題を提起する場であったようです。展示されていたものは一見したところ到底本には見えないものもあり、いったい「本」とは人間にとって何なのか、少なくとも「本」の本質とは、一定の大きさの紙に文字や図版が印刷され、それが綴じられてひとかたまりになったものを、一枚ずつめくりながら視覚を通してそこに記録された情報を読み取る行為の中にのみ存在するとは限らないと考える契機を与えてくれるものでした。
それから15年、この展覧会から少し未来になった今、本は空中を通って私たちの手の中にある小さな画面の中に飛んでくるようになりました。重さも厚みもなくなり、時には自分で自分を読み聞かせてくれるようにもなりましたが、指先でページをめくるという昔ながらの動作を忠実に倣った姿で現れた事が面白く感じられました。
参考書籍
[未来の本の未来] 監修・編集 藤幡正樹
情報処理振興事業協会/株式会社ジャストシステム
ISBN4-88309-409-X C0070 P2500E