20121230

キャンドルナイトのダンボール製クリスマスツリー

12月16日の日曜日、西宮市の苦楽園という町でキャンドルナイトのイベントが行なわれました。これは地元の苦楽園ストアーズミーティング主催で4年前から行なわれているイベント。毎年夏至と冬至に近い日の夜、電灯を消してキャンドルのあかりを楽しみながらエネルギーと人とのかかわりを考えてみましょうという「100万人のキャンドルナイト」に賛同したイベントです。苦楽園ストアーズミーティングの一員であるギャラリー6Cさんと懇意にしている芳川紙業さんからお誘いがあり、ここに飾られる大型のダンボール製クリスマスツリーのデザインと設計に、コウデザイン研究所として協力させてもらいました。

素材はダンボールのみ。なので当日は雨が降らないように祈りましたが、その甲斐あってか(?)前日の雨がぴたりと止んで気温もやや高め。スタッフの皆さんのてきぱきした動きで設置もスムーズに済み、夜のイベントでは大勢の来場者の方々に喜んでいただけました。試作段階ではいろいろ苦労しましたが、来場者の方々が記念写真を撮る様子を眺めているとこちらも嬉しい気持ちになりました。
  

さて、今回なぜこのようなデザインにしたのかについて。

まず素材がダンボールなのは、依頼者がダンボールのメーカーであったという極めて単純な理由。企画の出発点で既に決まっていた事であり、いわば与条件であります。

与条件は他にもいろいろとあって、例えば:
・イベント当日に短時間で組み立てと撤去が出来ること
・一つの部品は1600mm×1200mmのサイズに収まること
・各パーツの接続はプラスチックのジョイントで2枚ずつ留めること
・すべて平面のみで構成されること
・内部にティーキャンドルを設置できること
等々。さらにこれらを踏まえた上で、当然のことながら
・美しいかたちで、地域の皆さんに楽しんでいただけること
を忘れてはいけません。

上に書いたようなことを踏まえながら、企画・製作の芳川紙業さんとアイデアを出し合い、スケッチを描いたり小さい模型を作りながらああでもない、こうでもないと言っているうちにどうやらこれは小さいパーツをつなぎ合わせて円錐台を作り、その円錐台を何段か積み重ねたかたちにするのが一番きれいにおさまりそうだという結論に達しました。

 



手持ちのネタ、あるいは習熟した手段(今回の依頼主の場合はダンボール素材とサンプルカッター)を有効に活用し、いかに効率的に目的(今回の場合は"イベント用の大型クリスマスツリーを一品製作で作る")を達成するか。しかも様々な与条件をクリアしながら、最終的には美しいかたちにする。そのために用件を整理して合理的に目的を達成するという思考は、私が常に心がけていることです。普段はプラスチック製の量産製品のデザインが仕事の大部分を占めている私ですが、素材がダンボールで、一品製作である今回のようなテーマでも、考え方の基本は共通しています。

20120920

Quotes



「ある民族の何か固有のものを研究するときには、少なくとも何かを学びとろうとするならば、その最上の側面を見るのが賢明である。醜いものは世界中、全く同じように醜いのだ。もっともよいものだけがわたしたちを教えてくれる。そして最上のものはすべて固有のものである。どの国も何かに優れている。そしてそれ以外のものは他の国と全く同じで、平凡なものである」
(ブルーノ・ムナーリ、小山清男訳『芸術としてのデザイン』ダヴィッド社、1973、179頁)

20120602

良い製品はあこがれと共感を生む親善大使になれる



ある先輩デザイナーとの酒席で子供の頃の遊びが話題になり、コマ回しやヨーヨーの話しになった時にふと思いだしたのですが、私が近所の駄菓子屋で買ってもらったヨーヨーはアルミのプレスで出来たような、缶バッジのような安物だったのに対し、コカ・コーラの景品で当たるヨーヨーは鮮やかな原色のボディが透明のアクリル樹脂に包まれた、(小学生だった自分からすると)高級感あふれるものでした。アメリカの製品はやっぱりすごいなと思っていた記憶があります。

私が子供の頃は電気製品にしろ自動車にしろ、衣類や玩具でもまだ外国製の工業製品に対するあこがれのようなものがありました。大学でデザイン学生だった頃は、POPEYEやBRUTUSなどの雑誌で紹介されるアメリカやイタリア、ドイツの製品を食い入るように眺めながらいったいこの国の人たちはどんな生活をしていて、どんなものの考え方をしているのだろうと想像したものです。ものづくりには必ず文化的背景が反映されるもので、どの部分にこだわりを持って完成させるのか、やはり作り手の考え方がそこに現れるものだと思います。

現在、海外進出を考える日本企業は過去のように大企業に限らなくなって来ていると思います。こだわりを持ってものづくりに取り組んでいる企業が海外に進出していく動きは今後加速するかと思いますが、海外の人たちにとって今よりもっと様々な日本製品に触れる機会が増えれば、日本文化に対する興味や理解も深まるのではないかと私は密かに期待しています。そしてそのような動きを積極的にサポートしていきたいと思っています。





先日マスメディアの取材を受けたのですが、記事になった内容は私の意図とは少し違ったもので、残念な思いをすると同時に取材対応の難しさを実感しました。私は中国企業の製品デザインの依頼を受けることもありますが「中国企業の日本向けのデザイン支援を始めた」ということではありません。むしろ中国はこれからも巨大な市場として、日本企業が積極的に打って出なければならない重点地域であり、そのような日本企業のサポートをすることが理想です。

20120303

「十分ではないが、必要。」というタイトルで。

先日、財団法人大阪デザインセンター様の発行誌 DESIGN LINK OSAKA 54号に寄稿させていただきました。タイトルは「十分ではないが、必要。」で、現在のプロダクトデザインにおいてもなお、造形は重要な要素であることを自分の言葉で語ったつもりです。http://www.designlink-osaka.com/12/03/02125738.html

日本のものづくりは戦後の復興期から高度成長、バブルとその崩壊、新興国の台頭や未曾有の大災害を経て現在までデザインとともにあり続けています。デザイナーたちは互いに刺激したり議論をしながらその時代ごとの最良のアウトプットをすべく努力を続けてきました(と信じています)。時代ごとに主流となるデザインの傾向も変わるもので、企業向け、或いはデザイナー向けに開かれるフォーラムやセミナーに参加してみると、これからのデザインはこうなるだろう、こうあるべきという議論や主張が聞けて非常に刺激になります。私がデザイナーとしてのキャリアをスタートさせた頃は、バブル期の首都圏にいたこともあってこういう機会が毎週のようにあり、時には有給休暇をとってまで自腹であちこちに聞きに、見に行っていました。当時は有名なデザイナーが目の前で話しているだけで気持ちが盛り上がって、そこで語られることを全て肯定的に捉えていたように思います。

最近でも時間が許す限り積極的にこういった機会を見つけて参加するようにはしているのですが、今の時代に即したデザイナーの主張や提言を聞くたびにやはり刺激を受け触発される自分がいる一方、もう一方では「でも、それは最先端の話しだよね?」と一歩離れて見ている自分がいます。

自分のデザイン事務所として独立してから15年の間、企業のデザイン部や他のデザイン会社の下請けとしての仕事をしたことはほとんどありません。中小企業さんと直接おつきあいをさせていただく中で、今でもなお自社内にデザイン部を持たず、どんなデザインにすれば自社の製品が市場に受け入れられるかというところで悩んでいる企業さんが如何に多いか、そもそもデザイナーとどうつきあえばいいのかわからないと言う経営者さんが如何に多いかということを実感しました。

「これからのデザインはどうあるべきか」を考えることは重要です。デザインはもはやかたちと色を決める「だけの」仕事ではないという意見に完全に同意します。しかし理想や展望を語るのと同じぐらいに、デザイン導入の入口部分でのサポートを我々デザイナーは忘れるべきではないと感じることが最近多く、今回寄稿した文章は敢えてそこを強調しました。

20110216

蟹の色見本

先日蟹を食べにいった時の事。

蟹の陶板焼きを用意し終えた仲居さんが
「火が通ると色が変わりますので、全体がオレンジ色になりましたらお召し上がりください」と言った。
オレンジ色と言ってもどれぐらいのオレンジ色なんだ、と思いつつ手元を見ると蟹の形をした陶器の箸置きがある。とっさにそれを指差し、「これぐらいの色ですか?」と冗談っぽく尋ねると仲居さんはちらっと箸置きを見て「はい、そうですね」と言って去った。

こちらもビールと日本酒で相当顔が赤くなっていた頃だったので、仲居さんもいちいち酔客の相手などしてくれないなと思いつつ、深澤直人さんのデザインしたティーバッグを思い出した。ティーバッグの先がリング状になっていて、その部分が紅茶のちょうどよい飲み頃の色見本になっているあれ。蟹を焼いているこの状況なら何だろう、取り箸かな、いや箸袋でもいいかな、等と考えている頃に蟹がそろそろ良いにおいをさせて来た。

見ると、箸置きとほぼ同じオレンジ色だった。