20100331

ムーンパレス


見慣れない街にたどり着いた

見慣れない服にくるまってた

さようならばかりの三月が

終わる春の日に

という詞で始まるザ・カスタネッツの「ムーンパレス」。

10数年前の今頃の時期にFMヨコハマでヘビーローテーションされていたこの曲を、当時横浜に住んでいた私は自分が社会に出た頃を思い出しながら聞いていました。


今日は3月31日で、明日から新しい年度が始まります。

スーツに着られて鞄に持たれてるような、どうにもおさまりの悪い若者たちが通勤電車にデビューする4月。周囲の環境が一気に変わって、自分の思っている自分らしさをどこかに置き忘れてしまったような寂しさを感じる日が続くかもしれません。

私が大学を卒業したのはもう20年以上も前ですが、卒業式で教授が私たち卒業生に語った言葉を今でも憶えてます。

春のある日、都会の大きな駅の雑踏の中で、今まさに地方から出て来たであろう若者が荷物の上に腰を下ろしてじっとしていた。何か困ったことでもあるのかと思い声をかけてみると彼は言った。

「私の体はあまりにも早くここへ来てしまったので、心がまだ故郷にあるのです。だからここでこうして心が体に追いつくのを待っているのです」


たしかに私の場合も就職してしばらくの間はこの若者のように心がついてこない状態が続きましたが、がむしゃらにやっているうちに「いつの間にか見慣れてた街は 少しだけ笑いかけてくれる」ようになりました。明日から環境が変わる皆さんも、心に余裕を持って、ときどき立ち止まってもいいから、自分を失わずに。




20100315

昔の未来

先日あるデザイナーの集まりの中で、15年ほど前に制作されたビデオを見る機会がありました。これは某電機メーカーが、自社の技術が将来的にどのような製品を生み出し、人々の生活をどのように豊かにするかといったビジョンをドラマ仕立てにまとめたもので、5分程度のストーリーが数本、近未来のある家族の生活を通して描き出されていました。


ビデオには様々な機器や設備が登場していましたが、いまだに実現されていない(≒今後もまず実現されない)ものもあれば、今となってはもう必要性を感じられなくなっているものも。面白かったのはインターネット、パソコン、携帯電話がこれほどまでに普及して一般化していることが予測されていなかったこと。2010年の現実世界では個人がいつでもどこでも巨大な情報網にアクセスできるようになっていますが、これが15年前の予測との最大のギャップかもしれません。インターネットの爆発的な普及は1996年か1997年頃。それまで一般の人には知られていなかったインターネットが一気に当たり前の事になり、時を同じくして携帯電話も普及しました。このビデオが作られたのはその数年前のはずですが、ネットの普及期をはさんだ15年間で、思い描く未来像は大きく変わったのではないでしょうか。


過去にイメージされた未来像を後から振り返ってみるのは(既に未来を知ってしまっている者としての意地悪な態度ではなく)純粋に面白く感じられます。ついこのあいだ読んだ本。「図説 20世紀テクノロジーと大衆文化(柏書房/原克著)」こちらは実際に製造あるいは試作された「未来の」テクノロジーの集大成。読んだと言うよりは眺めたと言った方が適当かもしれません。300ページにわたって図版で埋め尽くされているので。よくぞここまで集めましたと感嘆すべき内容です。


初期のコンピュータであるENIACやリニアモーターカーの実験機なども載っていますが、見ていて面白いのはアルコールランプで動く扇風機、大掛かりな大リーグボール養成ギプスのような遊泳訓練機、座ったまま移動できるローラースケート、両手を挙げると銃弾を発射する防弾チョッキ、歩行者をすくいとる自動車のバンパーなど、今見ると(もしかすると当時でも)珍妙な発明品の数々。珍妙には見えますが全て豊かな生活を実現を夢見て大まじめに考えられたモノなのでしょう。


この本は、冒頭にある著者の言葉によれば「科学の図説ではなく、科学イメージの図説」。決して専門知識を持った科学者による未来予測ではなく、その時代の大衆にとってイメージされた科学の共通イメージを、作られたモノを通して俯瞰する事ができます。大量の図版を全て見終わった頃には、20世紀の一般大衆にとって科学技術とはどのようなイメージだったのか、テクノロジーによってどのような問題の解決を期待したかが、漠然とながらも伝わってくるようです。



ちなみに私が子供の頃の子ども向け科学図鑑などではエアカー、テレビ電話、宇宙旅行などがだいたい定番のイメージでした。

テレビ電話は一般人でも体験できるようになりましたね。



参考書籍

[図説20世紀テクノロジーと大衆文化]

原克(著)

柏書房

ISBN978-4-7601-3335-2

20100312

光を通す陶器

信楽焼と聞くと真っ先にタヌキの置物を連想してしまう私ですが、信楽は日本六古窯にも数えられる、伝統ある陶器産地です。


その信楽の里、滋賀県の窯業技術試験場が光を透過する陶器を開発したというニュース映像を見ました。陶土に石英ガラスの粉末を混ぜて焼くのだとか。見た映像では成型した壺を乾燥させた後、表面を切削加工して肉厚に変化をつけ、明暗のニュアンスがある透過光が美しい製品に仕上がっていました。(下記リンク参照:残念ながら映像は既に更新されて見られなくなっていますが)


この素材を使った照明器具が紹介されていましたが、繊細でぬくもりのある光の質感が魅力的でした。アラバスターのようでもありますが、希少な上に加工も取り扱いも制約の多いそれに比べるとずっと身近な素材です。開発に4年かかったとのことでしたが、伝統的な信楽焼に新しい価値が一つ加わったと言えるでしょう。


「信楽透器(しがらきとうき)」と名付けられたそうです。信楽というブランドを前面に出していること、音を聞くだけだと普通の「とうき」のようだけれど実は「透器」なのだと説明するところでコミュニケーションのきっかけになること、そして短くて言いやすいこと。これらが凝縮されていて良いネーミングだと思います。