20100222

屋上の檻

これも不況の影響なのか、雑居ビルの屋上にあるビルボードが広告主不在のまま、むきだしの檻のような風情で風に晒されていました。


これ、一応神戸の中心である三宮駅周辺です。

この反対側にもけっこう大きなスペースが空いていました。普段はゴチャゴチャと広告看板が並んでいるさまをあまり美しく感じないのですが、いざこういう状態になっているのを見ると不況が日常の風景の中ににじみ出してきているようで、あまりうれしいものでもありません。

なので無理矢理ポジティブな理屈をこじつけてみよう…。え〜と、看板が無くて骨組みだけになったので、空気を遮るものが無くなって風の流れが変わる。いつもと違う風が吹く。いつもと違う風が吹くといつもと違う桶屋が儲かる。

あ、結局桶屋か。ダメだ。

20100220

おしなりくん

東京スカイツリーのマスコットキャラクターの名前は「おしなりくん」というんだそうな。

建設中の東京スカイツリーの前でポーズを決める「おしなりくん」
「おしなりくん」というネーミングを聞いて、あ〜やっぱり高さ600メートルもの構造物になると全体がうまくしなって強風や地震の揺れをうまく逃がすんだろうなあ、それでキャラクターの名前も「おしなりくん」なんだなあ、などと勝手に想像が膨らみましたが(ここまで約0.5秒)、ニュースの続きを読むとまったくそうではなくて、スカイツリーの地元の地名、押上(おしあげ)と業平(なりひら)から取ったとのこと。

じゃあ漢字で書くと「押業君」か。

なんか堅いぞ押業君。
やっぱりひらがなの方がいいね。

20100204

日の出・日の入り

昨日は節分、今日4日は立春という事で、二十四節気で言えば冬から春への変わり目、…のはずですが寒い!

神戸を含む兵庫県南部は瀬戸内海式気候に属し、年間を通して降雨量が少なく冬期も比較的温暖とかそういう知識が意味をなさないぐらい寒い!

寒い地域に住んでいる方からすればこの程度はどうってことないのかもしれませんが、元々寒さに弱い私にとっては寒い!


とは言え、冬至から小寒、大寒を経ての立春です。今日の神戸の日の入りは5時31分。その時間を少し過ぎても残照で明るさが残っており、日の入りの時刻がだいぶ遅くなってきた事を実感しました。一年で昼の時間が最も短いのは冬至ですが、日の出が最も遅い日・日の入りが最も早い日はどちらも冬至ではありません。神戸の場合日の入りが最も早かったのは12月5日頃。日の入りの時刻は午後4時48分でした。

関東に住み始めた頃、4時半に既に外が真っ暗になった時には気持ちまで寒々しくなったのを憶えています。(逆に夏場に徹夜で作業をした時は夜明けの早さに焦りましたが。)少し前にニュースで「冬期うつ」が話題になっていましたが、そこまで行かないにしても日照時間の変化は精神面にも影響を及ぼすものだと実感します。


さて、日が少し長くなったとは言え気温は低く、冬の底のようなここ数日。一年で最も背筋の伸びない季節です。自分カレンダーではここから2月中旬までが正念場。皆様もご自愛ください。

20100202

役に立たない機械

昨夜ある深夜TV番組で「役に立たない機械」が取り上げられると知り、録画予約をして朝イチで見てみました。某大学の理工学部では一年生に対して「役に立たない機械を作りなさい」という課題が出されるとのことで、番組では学生たちが作ったその「役に立たない機械」ーーまったく何の役にも立たないものから役に立ちそうなもの、題名を限定さえしなければ何かの役に立ちそうなものまでーーが次々と紹介され、朝っぱらから笑わせてもらいました。
学生たちは、「役に立たない」+「機械」という課題を掘り下げて行く中で、機械とはどのように定義されるのか、役立つとはどういう事かを深く考えたのではないでしょうか。

さて、私がこの番組のタイトルに興味を引かれたのはブルーノ・ムナーリ(1907-1998)の「役に立たない機械(macchina inutile)」を連想したからです。ムナーリはイタリアの美術家・デザイナー・評論家…で、活動の初期に於いて未来派に参加していました。彼の"macchina inutile"は1930年代の作品。様々なタイプのものがあるらしいのですが私が知っていたのは「たがいに細い糸で結びつけられた幾何学的な形状の薄い板が天井から吊るされ、空気の流れを受けて動きつつ、かつお互いに触れ合わない」というもの。今で言うモビール。原初的なキネティックアートの一つです。
彼は著書「芸術としてのデザイン(Arte Come Mestiere)」の冒頭でこの作品に触れ、同時期に同様の原理にもとづく一連の作品を米国で発表し称賛を受けたアレクサンダー・カルダーを引合に出しつつ、やや自虐的に自分の作品は友人たちに嘲笑され、カルダーの模倣と見なされたと述べています。しかしこの作品が(少なくとも製作当時の)彼にとって重く位置づけられていたことは疑いありません。
ムナーリはこれを"macchina inutile"と名付けました。これがmacchina(=機械)であると宣言した上で、機械は人間にとって生産的な仕事を行う(=役に立つ)ことを期待されているとするならばこれは「役に立たない」、しかしわずかな空気の動きに反応して絶えず新しい姿を見せ、人々の視線を奪うこの「機械」を「役に立たない」と切り捨てることが出来るのかという問いかけが、「役に立たない機械(macchina inutile)」という名に込められているように思えます。


冒頭に述べた大学の課題とムナーリの作品、日本語ではどちらも「役に立たない機械」ですが、それぞれの立場は正反対ではないでしょうか。

この大学の准教授は、美を定義するカントの言葉を引用していました。
ムナーリは著書の中でデュカッセ(←誰か知らんけど)の言葉を引き、機械と人間を語っています。
理工学者が美の定義を求め、美術的表現者であるムナーリは技術の定義を求める。
その対比が非常に面白く感じられました。


しかしこの番組、関西ではほぼひと月遅れの月曜深夜に放送されているという事実を今回初めて知りました。



参考書籍
[芸術としてのデザイン]
ブルーノ・ムナーリ(著)
小山清男(訳)
ダヴィッド社
ISBN4-8048-0046-8